若政所(わかまんどころ、? - 慶長6年8月20日(1601年9月16日))は、安土桃山時代の女性。夫は豊臣秀次。父は池田恒興。母は不明。兄弟に池田輝政など。

実名は不明。別名、若御前。法名は致祥院殿栄岳利盛。官位は正二位だったとする記録がある。

概要

一般的に若政所とは、父が摂政・関白職かつ自身も同様の公卿の正室に使用される称号である。

ここでは、豊臣秀次の正室であった池田恒興の娘について記す。

生涯

本能寺の変の後、父・池田恒興は羽柴秀吉に対し次男の池田輝政を秀吉の養子にし、娘(若政所)を三好信吉(のちの豊臣秀次)に嫁がせることを約束した。

若政所が秀次に嫁いだとき、御輿副を池田家臣の香西又市が務めたという。秀次との間に子供は確認されていない。

文禄2年(1593年)12月16日に、秀吉から秀次、秀次の母・日秀尼と若政所に高麗の鱈が送られている。

文禄3年(1594年)、秀次の娘である八百姫(豊臣秀頼の許嫁だったとされる)の平癒祈祷のため、書状を送ったりしている様子がみられる。

没年の表記はないものの八百姫の命日を7月13日とする史料があり、秀次の切腹事件以前に死亡したのではないかと推測されている。

若政所も秀次事件以前に死亡したとする史料もあるが、助命され実家に返されたとする史料の成立の方が早いため、そちらが信憑性が高いものと思われる。

慶長6年(1601年)8月20日に亡くなった。

脚注

参考文献

  • 『新訂  寛政重修諸家譜 第五』続群書類従完成会、1964年11月30日。 

1.15子贡曰:“贫而无谄,富而无骄,何如?”子曰:“可也。未若贫而乐,富而好礼者也。”子贡曰:“《诗》云:‘如切如磋,如琢如磨’,其斯之谓与

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